フランスで乳がん治療

浸潤性小葉ガン・・・という名の乳がんになってしまったヘタレな私の記録

カテゴリ:入院・手術 > 入院~手術

今日は、ドレーンを抜いて退院する日だ!

強い痛み止めと普通の痛み止めを飲み、退院の用意をはじめる。
痛さに耐えられなくなると、ベッドに上り休んで、また動きはじめる。

なんとか荷造りを終えてベッドで休んでいたら
K先生が看護師さんを伴ってやってきた。

退院後の検査のスケジュールの話をしている。

そして腕は動くか?と言って、私の腕を先生が動かし始めたとたん

「ぎゃー痛いです~~~。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。ちょっと待ってください!」と
うずくまった。

あまりの痛さにシクシク泣いていたら、私の右手を握り、

僕の方を見て。どこが一番痛いの?

ここです(ノ◇≦。) 二の腕のタプタプしてるとこを指した。

今度は看護師さんが私の左手を握る。
(私を真ん中に3人がつながっている。でもそんな絵に書いたような愛を
示してもらっても痛いもんは痛い)

ここが痛いのは神経を切ったからです。
でも心配しなくていい。
毎日少しづつ動かしていけば、かならず元通りになるから。
重たいものは持たずに、毎日少しづつ動かすようにすること。わかったね?



K先生は、そう言い残し部屋を後にした。


え?

し、し、神経を切った~~~~~~~~~????

なんで???

リンパ郭清はしていないよね?

センチネルリンパ切開しただけなのに、なんで神経切れるの?!


しばしボーゼンとしてたら、夫がやってきた。
先生に言われたことを話してやったら

「え?神経切ったって言ったの?君の聞き間違いじゃないの?」

だってクペーって言ったもん。(ノ◇≦。)

「え?couper(切る・切断する)って言ったの・・・・Σ(゚д゚;)
なんでそんなことを・・・・。」

知らないよ。そんなの(ノ◇≦。)
まだドレーンも抜いてもらってないんだよ。


あ、看護師さんに言ってくる・・・と言って夫が出て行った。


神経切れてたから、こんなに痛いの?う、うえーん。

その後、ドレーンを抜くために看護師さんがやってきた。
恐ろしい痛みがやって来るような気がして、ガクガクしてハンカチ握り締めてたら、

「なんで、そんなの握ってるの。」

怖いからです。痛いんでしょ?

「大丈夫よぉ、私がそんな意地悪すると思ってるの?」

思ってないけど、友達がドレーン抜くの痛いって言ってたから。

「ふっ。まあ見てなさいな。まず傷跡の処置をしましょうね。」と言って

胸のテーピングをバリバリはがし始めた。

怖くて胸を見ない私の目線の先には、Mちゃんのくれた病気平癒の御札が飾ってある。

「あれはなあに?」

病気が早く治る御守りです。日本の友達がくれました。

その後、日本に帰国したその日にシコリを見つけてしまったことなどを話し、

いよいよドレーン抜きに。

「さあ、深呼吸して、大きく息を吸って~、さあ吐いて、お友達のお守りを見ていて~

はい、吸って~吐いて~ほら抜けた!」

あっと言う間に針が抜けた。

「痛くなかったでしょ?お友達のお守りが守ってくれたのよ。」

それもありますが、あなたの親切のおかげです(笑)

まんざらでもない笑顔を見せて看護師さんは部屋を出た。



そんなわけで、無事退院することができました。
腕はまだ痛いけど、入院・手術という大きな山はひとまず乗り越えた。

一人で不安なときは、Mちゃんがくれた御札に手を合わせた。
生まれ故郷の山の麓にある神社の御札はきっと私を守ってくれる。

検査のときは必ずポケットに入れていたSちゃんの御守り。
何度も手の中で握り締めた。


ありがとね。気持ちは十分伝わったよ。


毎日スカイプしてくれるKさん。
毎日電話かけてくれたYちゃん。


弱気になる私を唯一叱れる姉。
不器用すぎてうまく気持ちが伝えられない父。


心配してくれた、日本の友人たち。
ブログを通じて知り合ったちゃあさん。

みんなみんなありがとう。


まだまだ始まったばかりの闘病だけど、
とりあえず「退院したよ」ってブログが書ける。


日本にいる友人たちが読んでくれているこのブログを書く事が、
今の私の楽しみになっているから。


やっと家に帰ってこれたよ。



あいかわらず冷房がうるさかったけど、

根性で寝てやったぞ\(*`∧´)/

何度も目が覚めちゃったけど・・・。


朝の検温に来た看護師さんが言う。

まあ、なんてうるさい部屋なの!もう少し音を下げてあげるわね。

と言い、一番上の大きいフタ?みたいなものを外し、ボタンを押した。
とたんに音は弱くなり、部屋が静かになる。

へ?

そんなとこに強弱ボタンがついてたの・・・?
この眠れなかった3晩なんだったの・・・・(T▽T;)


相変わらず腕に激痛が走るので、トイレに起きる以外ずっとベッドの中で過ごした。
もう歯を磨くのがやっと、自分のパンツも下ろすことができないくらい痛い。
美肌を目指して丁寧にお手入れする私が、顔を洗うこともできないほど辛い。

なんでこんなに痛いの・・・・°・(ノД`)・°・

看護師さんたちに「リハビリするのよ。動かすのよ。」と言われてたけど、
ベッドで寝ながら動かす程度。

それでも食事のため上体を起こしたときに、腕を上げる練習をする。

45度くらいあげると、また激痛が来る。


この4、5日目が一番痛みの多い日だった。
こんなに痛くて、退院できるのかしら・・・・。

でもドレーンが外れれば、ラクになれるだろうなあと、考えていた。
私はこの痛みは、ドレーンの針の入り方が悪いから動くと痛いんだ!と
思い込んでいたので。


この2日間、友達がお弁当作ってお見舞いに来てくれた。
やはり日本語が話せると落ち着くし、うれしい。

明日は退院だ。
ドレーン外すの、痛かったらどうしよう・・・と心配しながら寝た。




やっぱり眠れない。

冷房切ったから暑くて~\(*`∧´)/

しかも腰が痛い。
同じ体勢で寝てるせいか、腰が痛い。

時計を見たら、まだ0時だった。
そろそろ痛み止めが切れるころなのか、術後の鈍い痛みがやってきたので、
ボタンを押し、痛み止め追加してもらう。

ぜんぜん眠くないので、真っ暗の中、下半身を動かして、
なんとか腰に負担がかからないようモゾモゾ動いてみたがダメ。
腰に枕をいれたりしてみたがダメ。

そうこうしているうちに3時近くになり、またオシッコしたくなってきたので、
明日の朝から動いていいって言われたのを思い出し、トイレに行くことにする。

右側についてるのドレーンのパックを持ち、立ち上がってみた。
めまいがしてフラ~とするけどなんとか歩けそうなので、
左側の点滴の棒をずるずる引き、トイレに行った。

このトイレに行けるヨロコビ。快適すぎる。


朝の検温が5時半ごろきたので、
「朝になったら、動いていいんですよね?」と白々しく聞いてみた。

「動いていいけど、最初は看護師立会いで動くのよ。
昨日何も食べてないからめまいがして倒れたら困るから、
起き上がるときは必ず呼んでね。」

ウィ・・・わかりました(;^_^A

「それにしても、この部屋暑いわね!あなた暑くないの?」

暑いです。冷房つけてください。


で、冷房つけてもらう。
うるさいけど、やっぱり涼しい・・・。


朝、カフェオレを飲んで、点滴を外してもらえた。
左手が自由になったのはありがたいけど、痛み止めの点滴がない分、心細い。

今日は夫も朝から仕事なので、病室に来るのは2時すぎになると言っていた。
左手が自由になり、起き上がるようになってから腰の痛みも軽減されたので
午前中は寝て過ごそう・・・・と思ってたら、次々に人がやってくる。


まずはk先生。「今日から少しづつ腕を上げる練習してね」

ウィ。

それから事務局の人。「この病院で何か不都合なことや不便なことはありますか?」

ウィ。冷房がうるさくて夜眠れません。

今度はリハビリの先生。
「髪をとかしたり、歯を磨く・・・という簡単なことから始めてくださいね。」

ウィ。

血圧・体温・脈拍・ドレーンの排液量を図るため看護師さんが頻繁に出入り。
ウトウトするたびに誰かに起こされる。


昼食にはかなり大きなチキンローストが出てきた。付け合せの人参も美味しそうだ。
チキンを切ろうとナイフを持ったとたん右腕上腕内側に激痛が走る。

あまりの痛さに悲鳴が出そう。太い針で差し抜かれたような強い痛み。

急いで痛み止めを飲む。

チキンを食べるどころか、ベッドに倒れてしまった。

な、な、なにこの痛み???


この激痛には、この日から悩まされることになった。
おっぱいもワキも、切ったり縫ったりしたのだから痛いのはわかるけど、
なんでこんな二の腕タプタプしてるところが痛いの?

ひどい時にはワキから肘の内側まで激痛が走る。
圧迫すると痛みが途絶えるような気がして、ずっと押さえてた。


痛い痛いと騒ぎつつも、明日になればもっと痛みは減ってるはず・・・と思ってた。
でも痛みは、何度も私を襲い、苦しめた。


こんなに痛くちゃ、リハビリなんてできないよ!


前室で、また別のストレッチャーに乗り換える。

名前は?生年月日は?どっちの胸?執刀医は誰?と本人確認。

看護師たちが手を動かしながらが、バカンスの話をして笑っている。

私は今月は働きっぱなしよ。今月は人手が足りないからね~。

え~お気の毒。私は来週から休むわよ~。

陽気な声に、ナーバスにならなくて済む。


麻酔科医から「私が担当しますからね」と言われる。(昨夜、病室にきた人とちがう)

左の手首付近に点滴をされたけど、針が太く感じられ痛い。

執刀医のK先生が「マダムミルティ、サヴァ?」と顔をのぞきこむ。

サバサバ(大丈夫です)と答えたとたん、泣きべそ顔になってしまった。

「ホラ、心配しないで、すぐ済むから」と頬を撫でられる。


これから点滴に麻酔薬を導入しますからね。

頭がボーっとなりますけど、心配しないでね。

ほんとにボーっとなってくる。

でも眠くならない。

その後、アゴになにかシールみたいなものを貼られたとたん、記憶が途絶えた。




マダム、起きてください。

気分はいかがですか?痛みはありますか?


無理やり起こされる。

ストレッチャーに乗り換えろと言われたので、上半身を起こそうとしたら

起きちゃだめ。腰をずらすのよ。腰からずらして移動するの。

その後、なんやかんや話しかけられたが、眠くてよく覚えてない。


今度はベッドに移れと言われたので、またモゾモゾと腰を動かす。

痛みはある?

ちょっと痛いです。

痛みのレベルを1~10段階で分けたらどのくらい?

3か4です。
(ホントは1くらい笑。オーバーに言わないと痛み止めもらえないような気がして)

いい?絶対に起き上がちゃダメよ。飲み物も禁止よ。

何か用があったら、ボタンを押すのよ。わかった?


ウィ・・・わかりました(いいから寝かせてくれと言いたいくらい眠い)



ここがICUっていう部屋なのかなあ・・・・と思いつつ寝た。
そしたら誰かがおでこにチューしたのでびっくりして目を覚ましてしまった。

夫が「僕だ、僕だ」と言い、

「なんでもういるの?!
看護師さん3時半ごろって言ってたじゃないか。まだ2時50分だよ。
君が帰って来た時ここで待っていたかったのになんでこんなに早くでてきたの!」

とワーワーうるさい。

夫から見たら、術後病室でポツネン・・・と一人寝ている私は、
悲壮感漂うものだったらしいが
当の本人は「せっかく寝てるのに、なんで起こすのよ゛(`ヘ´#)」と腹立たしい。

全身麻酔中に気管挿管?されていたせいか、喉がガラガラで声も出しにくい。
なのになんたらかんたら夫が話しかけてくるので、

「話しかけないでよ~」と言ってやった。

そしたら「あ、眠いの?じゃあ寝たほうがいいね。テレビつけてもいい?
音がうるさかったら言ってね。」

左からは冷房の音がゴォォォ~、はっきり言ってテレビの音もうるさい。


私は今まで実家の父の手術に何度か立ち会ってきたけど
術後は父のそばに座り、いつも本を読んでいた。
ときたま父が目を開けるので、そのときだけ話しかける・・・という付添人として
当然の態度で接していたんだけど、夫には、そういうのがわからないらしい。

しかも夫のケータイがよく鳴る。
マナーモードにもできないこのKY男を誰かなんとかしてやってヽ(;´Д`)ノ


身体からチューブが出ている。これがドレーン?
胸もワキもテーピングされてて、どこから出ているのかわからない。

そこらへんにドレーンのパックがあるでしょう?

「あ、ある・・・・」夫が驚いていた。

転移があったらドレーンが入ると言われていたので
やっぱり転移があったのか・・・これで抗がん剤は確定だね。と言ったら

「またそうやって悪いふうに考える!
先生の話を聞いてないんだからまだわからないでしょ!
とにかく君は寝なさい!」と寝ろ寝ろうるさい。

起こしたのはあなたでしょうが!しかももう眠くないし!
意識はもうはっきりしていた。



転移のことも気になったけど、ひとまずオシッコがしたい・・・・。
尿道カテーテルは入らなかったのかなあ。
我慢も限界に近づいてきたので、ボタンを押して看護師さんを呼んだ。

お尻の下におまる?を入れられたがでない。
ベッドの背もたれを上げてもらい座位になってもでない。

看護師さんが洗面所の水をジャージャー流して誘発してくれるがでない。
「できない~~むずかしい~~~」と騒ぐと
慣れないとむずかしいのよ。しばらく一人にしてあげるから、
普段トイレに行ったときのことを想像してやってみて。
出ないからといって、起き上がっちゃダメよ。と念を押される。


この後、10分間くらいモンモンと過ごし、やっと出たときには
今度はものすごい大量のおしっこが出て、なかなか止まらない(笑)

あふれたらどうしよう~~~~と半パニックになる。

この後、17時、19時、2時間おきにこのトイレ騒動になった。
点滴と麻酔薬のせいで、量が多くなるらしい。
しかもセンチネルリンパ節生検のための青い注射液のせいで、
毎回青いオシッコがでてくる。

リンパって、老廃物を流す・・・ってよく聞くけど、
こうやっていらないものはちゃんとオシッコと一緒に出てくるんだなあ・・・。

オシッコ騒ぎのおかげで転移のことをすっかり忘れていたが、

執刀医のK先生が病室にやってきた。
ニコニコしながら

センチネルリンパはネガティブでしたよ。良かったね。

え?ネガティブ?
じゃあこのドレーンはなんなんですか?

それは術後に入るドレーンだから、結果うんぬんではなく、使うものなんだよ。

え?

その後、夫と少し話をして先生は部屋を出た。


「ネガティブって言ったじゃないか、良かった、あ~良かった。
やっぱり先生の話を聞いてみないと、結果はわかんないじゃないか
リンパとってないんだよ。良かった良かった~」と夫は言うけど、

初めて先生の診察を受けたとき、
センチネル検査で転移がなければドレーンが入らないから、入院は3泊4日。
ワキ郭清して、ドレーンつけたら5泊6日って言われたじゃん!

「そうだけど、君の入院は5泊6日だし。」

それは週末が入るし、手術が午後になったからでしょ(当初は朝一予定だった)
ワキのリンパとってないのに、なんでドレーンが入ってるの?

「必要だからつけたって言ってたでしょ。
まあいいじゃないの、ネガティブなんだから。」


そういうもん??


これだからラテン系のやつらは困るよ・・・・!(´Д`;)

(その後、お家に戻ってきてネットで調べましたら、
患部に血液や浸出液がたまるのを防ぐため
ドレーンをつけるそうです(胸の下の方)その方が治りが早いんだそうです。)


その後、夫が「今夜はここに泊まろうかな・・・・・」なんて言い出したので
(手術日だけは付き添いのお泊まりOKとわかり)

いいよ。帰りなよ。大丈夫だってば。と断った。
どーせ一晩中テレビつけっぱなしだろうし(家ではつけっぱなしなので)
イビキがうるさいし、

夫がいたら冷房つけてないといられないだろうし・・・・。
(昨夜でこりたので今夜は冷房を切って寝ることにしたので)


術後の痛みはありがたいことに無かった。
点滴の中に痛み止めを6時間ごとに導入してもらえたおかげだと思う。

点滴の針が痛かったけど、患部の痛みを感じなくて済むのなら
ずっと点滴して欲しいなあと考えてたら、またオシッコ行きたくなってきた(笑)



結果はネガティブ
病理の結果は3週間後に出るのだけど、
今日一番、欲しかった言葉を聞くことができた。


ありがとう先生。


テレビでは、金メダルをとったフランスの選手が誇らしげに映し出されていた。
フランス国歌を聞きながら、泣きながら笑ってる私がいた。



やっぱり眠れない。
冷房がうるさくてヾ(。`Д´。)ノ

オートマ設定にしたら、ついたり消えたりついたり消えたり、
その度にごぉぉぉ~と音がして何度も何度も目が覚めてしまう。

2時半に目が覚めたときは、もう眠れなくなってしまったので、
4時頃までDSして遊ぶ。
そのあと眠くなったので寝たと思ったら、

検温です!  といきなりミミッピ突っ込まれる。

ボンジュー♪
今日は、6時半に朝食が来るから、それを食べたら、
それ以降は食べもの飲みもの禁止よ。
7時半にタクシーが来るから、それまでに準備しておいてね!

ウィ・・・わかりました。と時計を見たらまだ5時15分。

なんでこんな早く検温来るの!もっと寝かせてよ~!
フランスの病院食 

朝食です。
ビスコットにバターとジャムのみ。
この日は6時半だったのでインスタントコーヒーでしたが、
翌日からは7時半が朝食時間となり、コーヒー、紅茶、ミルク、ココアなど、
好きなものを選べます。
私は毎朝カフェオレ頼んでましたが、
それ以外はビスコットとバター・ジャムのみでした。


迎えのタクシーに乗り、他病院へ。
私の他、女性二人がいて、話をしてみたらじつはみな同じ先生の執刀で、
私が13時30分、続いて14時30分、15時30分・・・それぞれ1時間の手術時間。
1時間で済んじゃう手術なのかな・・・とちょっとびっくり。
しかもその流れ作業的な時間設定(笑)
あと二人いるから、ミルティはさっさと済ませちゃおう!みたいな。
なるべく形を崩さず、傷跡も小さく・・・・と願うばかり。


名前を呼ばれ、検査着に着替える。
これからセンチネルリンパ節生検の注射を2箇所に打ちます。
最初にチクっとするだけで痛くないから、リラックスしてください。

で、乳首の上下2箇所にチクッと。
これはホントにチクっとしただけで、すぐ終わってしまった。


その後別室に移され、これから30分間胸をマッサージしてくださいと言われる。
胸をわしづかみにして揉むのではなく、
乳首を中心に円を描くように、
薬がよく行き渡るように意識してマッサージしてください。
30分後に写真とります。とのこと。

なので、一生懸命マッサージした(特に痛みはない)
30分後にX線に写されたときに

あら~キレイによく写ってますね。ちゃんと機能してるから、
あとは先生に託しましょうねと声かけられる。
よくわかんないけど、鮮明に写ってたのかな。ちょっと一安心。

私のあとに手術を控えてる女性は、6年前に子宮がんの手術をやり、
今回は毎年の検診でガンが見つかったとのこと。

そういえば私も婦人科の先生に、40歳を過ぎたら毎年、
検診受けるのよと言われていた。
仲良しの友人が乳がんになっても、
なぜか自分はガンにはならないような気がしていたので、
検診なんて1度しかしたことなかった。しかも30代のとき。

シコリが5mm以内で見つかれば、温存手術はもちろんのこと、抗がん剤も放射線も
ホルモン治療もしなくて良く、完全治癒という結果もあるそうです。

どうかみんな、毎年検診だけは受けてね。

そして、次の病院へ。
病巣部にメタリック糸を入れるという。
もう怖くて怖くて、Sちゃんのくれた御守りを必死で手の中でにぎる。
どうか痛くありませんように(>_<) ただそれだけを祈る。


エコーを見ながら腫瘍を探す。
あれ、また形が変わってる。小さくなってるような気がした。

生検のとき4回刺されたので、小さくなったのかな?と思ってたら
いきなりズブっと来た。ズブってかんじ。一瞬痛かった。

その後また、チクーってけっこう鋭い痛み。(;´Д`)ううう
今度痛かったら泣いてやろうと思ってたら、「ハイ、終り」だって。

見たら胸に20cmほどの針金が突き刺さってる。ひー((>д<))

それをくるんと丸めて、大きな透明の絆創膏貼られた。
もうこっちの胸は消毒済みだから、
このまま剥がさないでシャワー浴びてね。と言われたけど、
剥がしたら、針金がビヨヨヨンと出るかと想像するだけで恐ろしかった。


病室に戻ったのは11時くらい。
不安とストレスでもうぐったり。
10分くらい横になってもいいかな・・・とベッドで寝ていたら夫が来た。

痛かったけど、大丈夫だったよーと伝えたら、
「だいたい君は心配しすぎなんだよ。あれこれネットでいろんなこと探して、
なんでも悪い風に考え、そしちゃあ大騒ぎして泣いてる。先生に任せて
先生の診断結果を待って、それから考えればいいことだ。」と説教される。


ふん。
たいそうムカツクが夫の言うことにも一理ある。

「転移があったら、もう治療はしない。
延命しなくていいから、残りの人生のんびりさせて欲しい。
痛みでどうにもこうにもならなくなったら日本のホスピス入るから」と
ずっと言っていた私。

その度に
「転移してるわけじゃないのになぜそんなこと言うの。
君は僕のために生きようとは思わないの。」

「思わない。」

夫、思わず苦笑い。

そうやっていつも困らせてきた。

戦う姿勢も、立ち向かう勇気も、なにも持たずにただ泣くだけだった。

「別に死んだっていいもん。どうせいつか人は死ぬんだし」


そんな私が、生きるために、今日手術を受ける。



それからベタディンで丁寧に身体を洗い、
手術着に着替えてベッドに横たわったとたん

「用意はできた?ちょっと早いけど、
先生の準備できてるから行こうか?」と看護師さん。

早・・・・。


夫に、僕はどこで待ってればいいですか?って聞かれて
(日本のように手術室の待合室がない)

昼だから外へ出て昼食とってくれば?
3時半くらいに戻ってくるわよ。病室にいてテレビ見てるより、
美味しもんでも食べてきたほうがいいわよ♪と明るい看護師さん。

で、でも・・・・と言う旦那に

ああ、ここにいてサンドウィッチでもかじっててもいいけど、
どうせ夜までつきそうんでしょ。
他のみなさんもけっこうお出かけになりますよ。
3時半に戻ってくればいいのよ。と言われ

「じゃあ、でかけてきます」と。

ストレッチャーに移り「イッテキマス」と、
夫が毎朝、私にかけている言葉を言ってみた。

「イテラシャイ。待ってるからね。待ってるから。」

夫の声が遠くに聞こえた。


ふと、「行って来ます」という言葉はいい言葉だな・・・・と思った。

行く人がいて、待つ人がいる。

私を待っててくれる人のために頑張ってこようと、初めて素直に思えた。



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