フランスで乳がん治療

浸潤性小葉ガン・・・という名の乳がんになってしまったヘタレな私の記録

9月1日より、8か月ぶりにタモキシフェンをまた飲み始めました。

放射線治療後(2012年11月)から約2年間 タモキシフェンを服用しましたが、
子宮内膜増殖
子宮筋腫増大
の2つが副作用で出てしまいました。

なので1月にタモキシフェンの治療をいったん中止し、このときに内膜掻爬術(結果は良性)はしたのですが、筋腫はリュープリン単独を半年間をして様子を見ることになりました。

が。

結果変わらず。10㎝のまま。


でも主治医が、

リュープリンは半年以上は打たなくていい。
たぶんもう閉経するだろうし。
閉経すれば筋腫もだんだんと小さくなるから。 
なのでまたタモキシフェン飲みはじめようね。

と。

タモ飲んでまた筋腫が大きくなったら どうするんですかって聞けば

ならないと思うけどなったらなったで、またそのとき考えよう。

と。

まあ、そうなんだろうけど、大きくなったらなったとき考えればいいんだけど、

できれば大きくしたくないでしょうが~~~(泣)


まあ、でも仕方ないですね。
主治医がそう言ってるのだから、きっとそうでいいんでしょう。
今から先のことを悩んでも、しょうがないですもんね。


というわけでまたタモキシフェンを飲み始めたのですが、今のところ副作用がまったくありません。
初めて飲み始めたときは気持ち悪くて、食欲減退だったのですが、今回はまだなにもありません。

それから、1月からリュープリンを打ち始め、その効果が消えるのが7月中旬だったのですが、8月中旬ごろには、すごくつらかった膝の関節痛とホトフラが少なくなりました。

いやーびっくりです。
リュープリン恐るべしです。

手指は今も突き指したような関節痛がありますけど、それでも以前ほどではありません。
また、ホトフラもほとんどありません。

体が慣れたのか、薬の副作用が抜けたのかわかりませんが、いずれにせよ、けっこう辛い副作用でした。

まだまだ先は長いですが、がんばりましょう。


 


姐さん、あのときみたいに姐さんって呼ばせてね。

日本はもうすぐ18時になります。

姐さんのお別れ会がはじまりますね。

私は海を越えたこの地で手を合わせます。

乳がんになり、遠い異国で治療をはじめるとわかったとき、何よりも欲しかったのが「情報」でした。

これから始まる検査のこと、手術のこと、経験者の話が知りたくて、片っ端からブログを読みました。

主治医との会話は仏語なので、ある程度医学用語などを頭に入れておかないとドクターの話すことが理解できないし質問もできないから、探して、探して、情報を探しまくって、1日中パソコンの前で過ごしました。

乳がんブログでも、治療と日常生活が混ぜて書いてあるブログが多くあり、ブログなのだから、もちろんガンのことだけを書くわけではないんだけど、なかなか私の知りたい情報にたどり着くことができないときもありました。

そんななかで出会ったyannchanさんのブログ。

時系列ですべての治療がカテゴリーに細かく分類され、知りたい情報が、そこにはいっぱいありました。

日本で行われている治療、実際受けられている治療、メリット・デメリット、主治医との会話、医療費や保険、学会の内容、セミナー、テレビで放送されるガン情報、普通の乳がん患者とは思えないほどのその知識と類まれな情報力、そして何よりもガンに対しての勤勉さ・・・。

また、今まで受けてきた辛い治療が、今後同じ道をたどるかもしれない私たちにキツイ印象を与えないよう、ボケたりツッコミ入れたり、読みやすく、わかりやすく、書かれていました。

一読者でしかない私にさえ、優しくて、面倒見の良い方なのだなあと想像できました。

感服したよ。姐さん。

あなたのブログは、私にとって生きた教科書そのものだった。

そのうち何度かコメントをするようになり、私のブログにも、コメントをつけてくださった。

私は尊敬を込めて姐さん、ときには生徒会長!と呼び、慕いました。

乳がん3年生進級のおり、とても告知から2年しかたってない人とは思えず、生徒会長って書いたら、他の皆さんもほら、会長って言ってたでしょ。



でも、姐さんが再発をしてからは、私はコメントを書くことをためらうようになりました。

書いては消し、書いては消し、励ますのもどうか、上目線になってないだろうか、応援してるとかいても所詮活字の世界、上っ面だけになりはしないか、

余計なことを書いて傷つけたりはしないだろうか・・・

再発するかもしれないという恐怖は私にもわかる。

でも実際に再発してしまったという恐怖は、想像はできても、本当の気持ちはわからない。

そんな私が、姐さんに何を言うことができただろう。

応援クリックしかできなかった、弱い私です。



再発してからは、いっぱいエンタメ情報がありましたね。

「よく遊び、よく治療する。」

限られた時間の中で、仕事も遊びも治療も一生懸命することは「こうでありたい」と願うにふさわしいほどのお手本でした。

NODAY BUT TODAY

姐さん、あなたはこのブログタイトルのようにこの言葉のとおりに生きたのですね。

かっこよかったです。

たくさんの方たちに慕われたあなたは生徒会長そのものでした。

そして生きた教科書として私たちにブログを残してくださいました。

ありがとうございました。

心からの感謝と尊敬をこめて、yannchanさんのご冥福をお祈りいたします。


















乳がん術後、腕の痛みがあったのですが、
今更ながらこれが「モンドール病」というのだと知りました(笑)
私のブログは「腕の痛み」という検索ワードが多いので、参考のために。
モンドール病

術後4週間くらいに現れました。
このスジが出る前は、ピリピリしたような痛みがあり、
スジがでたころにはもう肘がまっすぐに伸ばせなかったです。
無理に伸ばすと切れそうな気がして。
このスジはワキにも3本くらい出ました。 
伸ばすと痛いからいつも肘を曲げて いました(おかげで五十肩が余計に悪化)

調べると、静脈に血液の固まりができて、索状硬結という硬いスジが現れ、
原因は不明だが乳がん術後に現れることが多い・・・とありました。

私はホームドクターから冷やすように言われたので、
保冷剤をハンカチに包んでよく冷やしていました。
とくになにもしなくても2~3週間で治るそうですが、
早く痛みをとりたくて、よく冷やしていたのを覚えています。

ちょうどこのころ五十肩のリハビリも始めていたので、
ゆっくり肘を伸ばす運動もしていました。

2~3週間でスジも消え、肘もまっすぐにできるようになりましたが、
痛みはしばらくありましたね。

手術後って、やはりいろいろあるみたいです。
切ったら終わり!ってなればいいんですけどね・・・。



あなどるなかれ、リュープリン。
たかが生理を止めてしまうだけの注射なのに
こんなにも副作用があるなんて。

まずホットフラッシュ。
冬は良かったけど、この時期すざまじい。
急にカーッと熱くなり、頭から汗が出て首の後ろが汗でベッタリ。
1日20回くらいある。


それから関節痛。
最初のころは朝起きたとき、膝がキシキシなるくらいの程度。 
それからだんだんひどくなってきて6か月後の今、
膝がガクガクして階段も降りるのが一苦労。
手指の関節も痛い。
肩も痛いし、関節すべてが悲鳴をあげてるかんじ。
朝だけではなく、日中も痛い。

しゃがむことができない。
無理にしゃがむと今度は立ち上がれない。
うぉぉぉぉ~~と気合を入れて何かにつかまって立ちあがる。
これほどまで来るとは。
もうお婆さん まっしぐらな気分。

先日の診察で、リュープリンやめるって言われて、
ある意味ホッとした。
こんな関節痛、耐えられない・・・と思ったら、
リュープリンを2年以上打っていたブロ友さんが
辛いのは最初の2~3か月で、体が慣れてくると症状も治まるとかで。
そうなのかな。
そしたら私は今が一番ピークなのかな。


年を取るとこんなにも関節が弱くなるのか・・・
と、91歳で亡くなった祖母のことを思いだした。

私が中3の時に母が家を出て、その後はずっと祖母が母代りになってくれた。
家の掃除・洗濯ははもちろん、私が脱ぎ散らかした服を
いつもきちんとハンガーにかけておいてくれ、部屋のそうじもずっとしてくれていた。
84歳で脳出血で倒れるまで 、毎日家のことをしてくれていた。

ときどき足が痛いって、指が痛いって、言ってたね。
自分が痛みを知って、初めて祖母の大変さがわかった。

あのとき優しくしてあげられなくてごめんね。
もっと親孝行すればよかったね。

後悔先に立たずだけど、今になってよくわかる。

関節痛は辛い。
そして孝行したくとも親はなし。


父と夫をもっと大切にしよう。。。


 

今日は主治医の診察。

とりあえず、最近のお悩みを。
ホトフラと関節痛が辛いと話す。

それはリュープリンの副作用なんで仕方ないですね。

マンモもエコーも血液検査も異常なしだったので、さっさと診察台へ。

小さいシコリがまたあるんです・・・。

どれどれ・・・え?これ?
これは術後の後遺症です。


ちがいます。そこじゃなくてもっと下。

どれ?

と探してるが見つからない・・・。

私の胸、傷跡に沿って押すと、そこらへんがみなボコボコしてるので
シコリが3つくらいあるように感じられるんです。
以前はここが鉄板がはいっていたかのように硬かったけど、
その鉄板が月日とともに溶けてきてボコボコが残っているような。

ちがいます。ここ。
と言って私が教えてあげた。

あ~これね。
fibreux(繊維・筋)じゃないの。
ほら傷の真下にあるでしょ。
こういうの傷の下にできやすいんだよね。

でも大きくなってきましたよ。

そう?でも繊維だから。
大丈夫、大丈夫と笑ってる。


私的にはちょっと不安。
優しく触ってるけどちゃんとシコリに触れてるのかなあ・・という気がする。
米粒のようなコリコリとしたシコリだけど、けっこう強めに押さないとわかりづらい。
そのシコリのまわりがボコボコしてるので、それと勘違いしてるかも・・・。
でもまさか乳腺科の先生に触診のダメ出しをするのもなあ・・・。
でもエコーにも写らないのだから、生検のしようもないだろうし・・・。
と、モヤモヤした思いが頭の中をかけめぐる。

私が服を着ているとき夫となにやらボソボソ話してる。

彼女のガンはは6㎜だったから、
あれが再発するとは考えにくい。 
まあ絶対にないとは言いきれないんだけど、ほぼないでしょう。
シコリもとりあえず経過を見ていきましょう。


とか言ってるのが聞こえた。

「とりあえず経過観察」

検査のしようがないから仕方ないのかも。


今後の治療の話になり、

とりあえずリュープリンを半年間やったので、
ちょっと休んでからまたタモキシフェン服用してね。
最後に打ったのはいつだっけ、4月10日かあ~
じゃあ9月1日からタモ飲んでね。


と想定外の治療を言われる。

タモのせいで筋腫が大きくなってしまったから、
タモの代わりにリュープリンを打ち始めたのに、
またタモを飲むんですか?

そうだよ。
リュープリンは強い薬なので半年しか使わないよ。
タモキシフェンとの併用もしないよ。
筋腫は大きくてもいい。
このくらいの大きさならとくに何もしなくてもいい。
半年間卵巣を休めたから、たぶんこれで閉経するんじゃないかな。
閉経すれば筋腫もだんだんと小さくなるだろうしね。


で、リュープリンの効果が切れるであろう7/10以降、
9月1日までは無治療で良いという。

この無治療期間については説明されたがほとんどよくわからなかった。
でもたぶん、
フランスではリュープリンとタモキシフェンの併用はしないので
この二つが重ならないよう間を置く・・・ってことなのかなあと勝手に解釈。


まあ、そう主治医が言うんだから、そういうことでいいんでしょう。


そんなわけで、無事4年生になれました^^




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